こんにちは!
癒しのブログへようこそ🌈✨🕊️
今日は 2023.6.30 金曜日
ここ東北の実家は、朝から雨空。
全国的に大雨が降るみたいです。皆さん、豪雨災害には充分気をつけてお過ごしくださいね🍀
早いもので、今年も半分過ぎようとしています。
わたしは、明日の飛行機で家族の待つ家に戻ります。帰り間際の空港で、短大時代の友人と久しぶりに再会する約束をしていて、とっても楽しみ💞
昔からの仲良しさんて、遠く離れて年月が過ぎ去っても、会えばすぐに昔の感覚にもどってしまうんですよね☺️ 不思議です。
ところで、12日間実家に滞在中に、兄から、
「母さんの仕事部屋(書斎)を掃除して欲しい…どこから手を付けていいか、全く検討がつかない…」
と、頼まれたの。
母は書道に打ち込む人生を送ってきて、現役を終えて久しいので、書斎はホコリまみれ。整理整頓が苦手だった母なので、荷物がごった返していることを知ってました。
これは大変な任務を与えられちゃったなぁ😅
と思いつつも、喘息持ちの兄に、ホコリを吸わせてはいけないので、一週間ほどかけて少しずつ断捨離しながら母の部屋を片付けました。
梅雨時で、エアコンもない築100年くらいかと思われる部屋。毎日1時間ほどの作業とはいえ、頭から汗だくです。
上の写真が掃除後、ビフォーの母の作業部屋。
はだか電球で、床の畳も敷物もボロボロの、すごく古い部屋でしょう?
ここで、わたしが子供の頃、毎週土曜日になると、長机を並べて、子どもお習字教室をしてたの。
もちろん先生は母です。わたしも友だちと一緒に習いました。楽しかったなぁ。土曜日になると、この狭い部屋に子どもたちが沢山出入りして、にぎやかでした👫🧑🤝🧑✨
母は若い頃に画家になりたかったけれど、戦争で父を亡くし母子家庭の長女でしたから、夢をかなえるのは難しかったようです。
兄が生まれ、パステルンか生まれ、そのうちに、書道を習い始めたのです。
もともとセンスがあったのか、めきめきと上達し、途中かから大阪の有名な師匠に就いて、本格的に書の道を歩みました。
寝台列車で大阪の師匠に習いに通ってたんです。
わたしが高校生のとき、初めて母の作品が「日展」に入選。嬉しそうでした。
その頃には、大人のお弟子さんも家に出入りするようになり、ほかの町に出向いて書道教室の講師をすることもよくありました。
県立美術館などで、母主催の書道展や、個展も開くなど、あのころはとても生き生きとして、精力的であったとつくづく思います。
とにかく人間大好きな母。
どこへ行っても、面白い話で盛り上げて、すぐにお友達になってしまう才能は、たいしたものでした。
そんなこんなで、母とはよく、美術館へ絵画、彫刻、書道展などを、ちょくちょく観に連れてってもらったの。あのとき、お昼にホテルのレストランで、美味しい海老ドリアをよくたべたなぁって、なつかしく思い出します😋
実家はほんとにほんとに、ザ・田舎町。
なのに、クラシック愛好家の父には、よくクラシックコンサートに連れてってもらいました。子どものころは、何が楽しみって、聴くより、食べること😅
ちょっぴり素敵なホテルのカフェとか、開演前に美味しいコーヒー☕をいただきながら、優雅にゆったり過ごす贅沢さ🌼
県庁所在地のホールでのコンサートには、結構有名なオーケストラや演奏家がみえるんです。
そうやって、両親から、芸術的な教育を受けてパステルンは成長したのでした。感謝しています🙏✨
さて、本題に戻りますが
母の書斎には、数多くの巻物になった母の作品がありました。一つ一つホコリを払いながら、まとめて整理していきました。
母の使い込んだ硯(すずり)、おびただしい数の筆。そして墨。和紙や、半紙、大字がな用のロール紙、色紙など、沢山でてきました。
大阪の師匠は奥様ともども、遠くから訪れる母を、娘のように可愛がってくださったようです。その師が書かれた書も出てきました。
よくね、個展を開くようになると、他の人から
「どんどん欲しい人に売ればいいのに」
と言われていた母。
父もそうなのですが、母も、そこはかなり謙虚というか厳格で、まだまだ道半ば。これは!という作品じゃないと、そう安易に人には譲れない(買っていただくのは失礼だし、自分のポリシーに反する)という思考の持ち主でした。
家族には、残された作品群に、どれだけのか価値があのか、分かりません。残念ですが…。
それからもう一つ、母の書斎の片隅に、母のお母さん(わたしのおばあちゃん)の立派な遺影と骨壷らしきものがあったんです。
きれいに拭いて、上品な色合いの和紙を敷き、そこに納め、静かに手を合わせました🙏
わたしのことをとても可愛がってくれて、よく遊んでくれた無邪気なおばあちゃんでした。日本舞踊を母の妹から習っていたころは、よく着物を縫ってくれる優しいおばあちゃん。笑顔しか思いだせませんが、戦争未亡人で、三人の娘を里に置いて、出稼ぎにゆき、働き者のおばあちゃんだったそうです。
そして、母が書道連盟の一線を退き、重圧から開放され自由に作品作りを楽しめるようになったころ、おそらく、書と絵画を融合させた水墨画をやりたかったんだろうなって思いました。
母の部屋の荷物の中に、真新しい、水墨画の描き方などの本が何冊もみつかったからです。
若い頃にやれなかった絵描きと、半世紀以上にわたって努力精進してきた書を生かせる素敵な芸術。
母のセンスにピッタリだと思いました。
残念ながら道半ばで、今に至るわけですけど、母の書道人生におそらく悔いはなかったと思います。
また、来来世、今世会得したものを活かして、さらに優れた芸術作品を生み出してゆく人だと確信しています。
そのときには、秘書というか、整理や管理をサポートしてくれる人に助けてもらえるといいなって思います☺️
家族には、書道に邁進する母が、家庭の主婦とうまく両立できなかったことを責められてしまいますが、母の修行僧のような、筆を持つ凛々しい背中を毎日見て育ったので、そこは、すごいなぁ~!
って心から思います。
頑張ったね!おかあさん。
いまは、すっかり可愛い寝たきりのおばあちゃん。
おかあさんの部屋、きれいにしたよ✨
思い出をいっぱいありがとう(*˘︶˘*).。*♡💗
大変だったけど、お部屋の整理をさせてもらって、また少し、母の人生と歴史に触れた気がします。
ありがとう
お母さん🌷
最後までお付き合いくださった皆さん、
本当にありがとうございました💐✨
どうか、皆さんにとって、穏やかでお幸せな週末になりますように🙏🌈✨🌷🌼🍀💞🍒😺🙋