パステルウィング 癒しのブログ

気楽なショートエッセイ風

元気なうちに終活する意味を知る

こんにちは!

パステルウィングことパステルン

癒しのブログへようこそ🌈✨(⁠.⁠ ⁠❛⁠ ⁠ᴗ⁠ ⁠❛⁠.⁠)

 

今日は2022.12.26 月曜日

皆さん、今年のクリスマス🎄🎅はいかがでしたか?

新年を迎える準備はお進みでしょうか。

 

今月16日から東北の実家に親の介護手伝いに帰省して、ちょうど10日経ちました。

暴風雪で欠航にならなければ、1/8には飛行機で私の家族の元へ戻ります。

 

現在、ピアノを全く弾けない環境にいるために、パステルウィングの新曲ピアノ🎹をYou Tubeにアップできなくて残念です。私にとって、ピアノを弾いているときが本当に天国にいるような幸せな時間なので。

 

でもね、わたし、いま全く違う幸福感というか、充足感の中にいるの。心からそう思います(⁠*⁠˘⁠︶⁠˘⁠*⁠)⁠.⁠。⁠*⁠♡

 

ずっと長いこと両親に会いに来てなかったことを後悔していたので、いまこうして、たった一人の兄と協力して認知症で寝たきりの母を介護できることが、とてもありがたくて‥ 人として、大切に育てて頂いた娘として、母のそばにいられる幸せを感じています。

 

わたしはずっと以前から、生まれ変わり、転生輪廻を信じてきました。肉体は老いたり病んだりしても、魂は健全。

なので、この世を卒業する最後の最後まで、仏性を宿す一人の尊い魂として、尊厳を保てる環境にあってほしいと願います。

 

それは、たとえお金が沢山なかったとしても、今の世の中、介護保険制度が充実しているので、家族だけで頑張りすぎず、民間のそうした介護サービスを積極的に早めに受けることも必要なのかなと感じています。

そして明るさ、笑顔、愛情が一ばんですね!✨☺️💗

 

親の介護の時期って、わたしもそうなのですけど、介護する子ども世代が、更年期であることが多いと思います。また、突然倒れて入院してしまっている私の父は、90歳になるところ。老老介護にもやはり限界があります。

 

ほんの一年前には、電話しても多少物忘れするものの、普通に会話していた父。長年の日課の山歩きも継続していました。

母がだんだん手がかかるようになり、そのお世話に息子と奮闘していたところ、もともと会話の少ない家族ですから、元気だった父も認知症が急に進んでいったようで、今までできたことができなくなる、長年の習慣をパタッとやらなくなったときが、一つのサインだったのかもしれません。

晩年のほんの1年、1ヶ月が、とても大きな身体機能に変化をもたらすのだなと、つくづく思いました。

 

凄く頑張ったんだと思います。娘の私の手を借りたい日もおそらく沢山あったでしょうに‥電話では心配させないために気丈にしていたのかもしれません。

 

両親は、ようやくいま、介護サービスを受けられるよう申請中ですが、家族の負担を減らし、本人の身体機能の回復、維持のためにも、もっと症状が軽いうちに、要介護認定を申請するべきだったと思いました。

 

肉体を持って生きていると、飲んだり食べたり、痛かったり、寒かったり、苦痛だったり、いろいろありますよね。介護のプロの方に訪問していただくことで、介護の仕方を見て学べると思いますし、心の余裕も生まれると思うんです。

 

それとね、「終活」って、すごく大事だなぁって身につまされます。

体力と気力と記憶力がまだしっかりしているうちに、いらない荷物を整理したり処分したり、医療や介護の意思表示を記したり、財産のこともしっかり子に伝えたり、いろいろありますよね。

【終活について詳しくは、下にサイトを貼付けますので、そこからクリックしてご覧になってくださいね。】

 

わたしや夫も、物忘れがよくあるので、今回帰省する前に、息子に、家の大事なものがどこにあるかを書いて伝えてきました。

 

わたしの兄は、父とあまり話をする人ではなかったので、まだまだしっかりしているからと後回しにしてしまって、介護保険者証やその他の大事な書類がどこにしまってあるのか分からず、困っています。

探さなくてはいけないけれど、もともと喘息持ちのアレルギー体質の人なので、ホコリの積もった父の部屋に入れるように、掃除するのがわたしの仕事でした。きれいになりました✨☺️

 

どこの部屋にも、使いそうにないものがたくさんあります。子どもたちに後始末の負担をかけないためにも、また、本人が老後を安心して、気持ちもスッキリ軽くして暮らすためにも、早めに断捨離しておかなくちゃって痛感しています。

 

また、母は不自由な体で一生懸命生きています。正直、大変なこともあるけれど、わたしたち兄妹に、お世話する機会を与えてくれています。生きているから、それができるんですよね。そして、老いとはどういうものなのかを、身をもって教えてくれています。

与えきりの愛で育てていただいた兄妹が、今度は

少しばかりの親孝行をさせてもらう機会を、与えてもらっています。同じ部屋に、いられるだけで幸せです。 お母さんは、肉体的には苦痛ななかで、わたしたちにそうした見返りを求めない純粋な愛の行為をさせてくれている、そうした使命を神様から与えられて生かされているような気がします。

 

実際携わってみると、どこまで手を貸してよいのかと考えることがしばしばあります。自分でスプーンを使って食べようとするときに、こぼしても構わないから自分でできるだけ食べてもらえるよう補助するですとか、のどが乾いて、なにか飲みたそうなときに、水飲む?と聞いて、うなずいたら、水差しをなるべく自分の手で持ってもらうようにして、むせたりしないか、そばで見守るなど、上手にできたときには、ほめてあげることも大事ですよね。

自立できそうな機能はなるべく潰さないように、汚れると始末が大変とか、こちらの都合で先き周りしないよう気をつけて、その都度工夫を重ねながら介護しなくちゃいけないな、と気付きました。

 

一方、父は、一生を通じて本当に多くの人のお世話役をしてきた愛深い人です。そんな父がどうか元気に退院して、年が明けたら必ず笑顔で再会できますように😌🍀

 

長くなりましたので、今日はこの辺で。

何か少しでも参考になるところがありましたら、嬉しいです🌷

 

最後までお読みくださり、ありがとうございます。

皆さま、お元気で今日もお過ごしくださいね🌅✨💖

 

【終活でやること10選 始める年齢やポイントについて解説 | 】 https://medical.francebed.co.jp/special/column/17_end-of-life.php